メッセージ

みなさまこんにちは!

サレジオ会のフェルナンデス総長の6月のメッセージをご紹介いたします!




この6月のボレッティーノ・サレジアーノは、ローマのみ心の大聖堂を皆さんにご紹介するものです。そこは偉大な歴史のある教会で、ドン・ボスコ自身にルーツがあります。教皇が心を寄せ、要望したこの教会の建設のため、ドン・ボスコは最後のエネルギーと力、生涯最後の年月を注ぎ込んだのです。

そして「イエスのみ心」と、イエスのみ心に献げられたすべての教会と信心は、全人類の神の息子たち、娘たちへの神のみ心、神の子のみ心の愛について語っています。それは、痛みについて、必ずしも報いられるわけではない神の愛について語っています。

今日、私はもう一つの側面を加えたいと思います。それは、多くの人々の苦しみ― 他者の排除、行き場のない移住、孤独、多くの人を苦しめる暴力など ―を前にして、主イエスが感じる痛みについても語っているのだと思います。イエスのみ心はこのすべてについて語っていると言えるでしょう。そして疑いなく、同時に、幸せからかけ離れた人々のためになされること、つまり、ご自身がユダヤとガリラヤの道を旅しながらなさったようなことすべてを、祝福しておられます。


【たくさんのハート、心】

さて、神のみ心を紛れもなく喜ばせる、そのような明るい現実のひとつを、私自身、テネリフェ島とグラン・カナリア島のドン・ボスコ・サレジアン財団で行われているのを目にしました。先週まで、私はその場所にいました。経験した多くのことの中で、その財団の数あるプロジェクトで働く140人の教育者と会うことができました。困っている人々を受け入れ、住いを提供し、職業訓練をして、その後、就職の世話をしているのです。

そして、最も小さい人々にドン・ボスコが提供しているこの助けの受益者である100人ほどの十代の若者や若い大人たちにも会いました。貴重な集会の終りに、彼らは贈りものを私にくれました。小さなハートの形をした厚紙の箱に、彼らは100以上のハートを入れました。そのハートには、ナイン、ロシオ、アルミケ、ムスタファ、クセウセフ、マイノハ、デジレー、アブジャリル、ベアトリス、イブラヒム、ヨーネ、モハメッド、その他100ほどの名前が書かれ、メッセージが添えられていました。それらのメッセージは素朴でありながら、心から湧き出ることを言い表していました。その大事な言葉の例をいくつかあげてみましょう。


♥このことすべてを可能にしてくださってありがとう

♥私の人生に与えてくださった再びのチャンスに感謝します

♥まだ闘っています。皆さんの助けのおかげで、闘いは楽になりました

♥喜びを取り戻させてくださってありがとう

♥望んでやり始めるどんなことも、私にできると信じさせてくださり、ありがとう

♥食べ物と家庭を与えてくれて感謝します

♥心の底から感謝しています

♥私を助けてくださって、ありがとう。

♥この成長の機会をくださり、ありがとう

♥私たちが生きている状況にも関わらず、私たち若者を信じてくださり、ありがとう



このようなものが他にも100ほど、ドン・ボスコとドン・ボスコの名によって毎日彼らと共に歩んでいる教育者たちに宛てられていました。

私は彼らが分ち合ってくれることに耳を傾けました。何人かの話を聴きました。その多くは痛みに満ちていました。彼らの目や微笑みを見ました。私はサレジオ会員であること、こうした素晴らしい兄弟たち、教育者や、若者たちの家族に属していることに誇りを感じました。

そして、ドン・ボスコは変わることなく今日的な存在で、これまで以上に必要とされているのだとあらためて思いました。そして、若い人々の道に寄り添うときのサレジオの教育の細やかさはどれだけ素晴らしいことかと思いました。私たちが彼らにこうあってほしいと願うところからではなく、彼らが今いるところから出発し、共に歩み導くのです。

私たちは、私たち皆を愛し、ご自分の息子たち、娘たちを祝福される神への祈りを一緒に唱えました。キリスト教徒にとっても、ムスリム、ヒンドゥー教徒にとっても、心から唱えることのできる言葉を用いました。その時、疑いなく、神の聖霊は私たち皆を助けてくださいました。


ドン・ボスコ自身が最初の少年たちをヴァルドッコに迎え入れたように、今日でも世界中の多くの「ヴァルドッコ」で同じことが経験されていることを思い、私はとても幸せでした。

イエスのみ心が、少年少女一人ひとりの多くの癒された傷に示される愛に満ちていることを、私は疑いません。愛は癒し、治すと私たちは知っているからです。

み心の祭日の豊かな祝福がありますように。

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父



《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》

■同じメッセージの各国語版はサレジオ会総本部サイト内からお読みいただけます。どうぞご利用ください。

第1回目は忘れがたいものでした。1875年、聖マルティノの祝日のことでした。世界は知りませんでしたが、ヴァルドッコと呼ばれるトリノの一角で特別な事業が始まろうとしていました。10人の若いサレジオ会員がアルゼンチンに旅立とうとしていました。彼らは最初のサレジオ会宣教師でした。

メモリエ・ビオグラフィケはそのときのことを叙事詩のように物語っています。「4時の鐘が鳴り、初めのメロディーを奏ではじめていた。ドアと窓をたたく激しい音が家の中に響き渡った。あまりにも強い風はオラトリオを倒さんばかりだった。偶然だったのかもしれない。だが、扶助者聖母大聖堂の礎石を置いた時もちょうど同じような暴風が吹いたのだ。大聖堂の聖別の時にも同じことが起きた」。

大聖堂は人々で埋め尽くされていました。ドン・ボスコは説教壇に上がりました。「彼が登場すると、その大群衆は深い沈黙の状態に入った。全員が感動に震え、ドン・ボスコの言葉を飲み干さんばかりの様子だった。宣教師たちに直接言葉を向けるたびに、彼は声をつまらせた。彼は心を奮い立たせて涙をこらえたが、聴衆は泣いていた」。

「声は出ず、涙が言葉をつまらせる。今この時、私の魂が揺さぶられているのは、あなたたちが出発するからだとだけ言いたいのです。私の心は私たちの修道会の堅固な様子を眺めて大きな慰めを感じ、歓喜しています。私たちは小さくとも、この瞬間、教会の大いなる建物を造り上げる一粒の砂を置いているのです。ですから、勇気をもって出発なさい。ただ一つの教会がヨーロッパに、アメリカ大陸に、そして世界中に広がっていて、その母なる腕(かいな)のうちに拠り所を求めてくるすべての国々の人々を迎えるのだということを心に留めてください。サレジオ会員として、この地上のいかなる遠い地にいようと、ここイタリアには主においてあなたたちを愛する父がいて、いかなる状況でもあなたたちのことを思い、必要なものを与え、兄弟としていつでもあなたたちを迎える修道会があることを忘れないでください。さあ、行きなさい。あなたたちはあらゆる疲労、困難、危険に立ち向わなければならないでしょう。けれども恐れてはいけません。神はあなたたちと共にいます。あなたたちは出てゆきますが、孤独ではありません。皆があなたたちに寄り添っています。さようなら! 皆がこの地上で再び会うことはないかもしれません」(MBXI, 381-390)。

ドン・ボスコは彼らを抱きしめ、20の特別な覚え書の記されたノートを一人ひとりに手渡しました。おそらく再び会うことはないかもしれない息子たちへの父からの遺言のようなものでした。しばらく前の列車の旅の時に、鉛筆でそれを手帳に書いていたのです。

樹木は成長する

9月25日、私たちは153回目の恵みの時をまた体験しました。彼らは今日(こんにち)、オスカル、セバスティアン、ジャン・マリ、トニー、カルロス……という名前の、よく準備できた25人の若者たちで、目と心のうちには最初の宣教師たちと同じ意識と勇気をもっています。彼らは、この6か年のために私がサレジオ家族全体に求めた勇気、預言、忠実の前衛に立っています。

ドン・ボスコはささやかな預言をしました。「私たちは大きな事業を始めます。私たちが自負を抱いているからでも、数日間で全世界を回心させられると信じているからでもありません。しかし、この出発、慎ましいものに見える始まりは大きな木へと成長する種であるかもしれません。アワやカラシの種のように少しずつ育ってゆき、大いなる良いことを成し遂げるかもしれません。この出発は多くの心に、宣教において神に身を捧げたいという願いを目覚めさせ、私たちに加わり隊列を強めたいという願いを起こさせたかもしれません。私はそうであるように望みます。実に多くの者が、選ばれたいと願い出たのです。」(MBXI, 385)。

「宣教師であること。何という言葉だろう!」40年間宣教師として過ごしたあるサレジオ会員の証しです。「あるお年寄りが私に言いました。『私にキリストについて話さないでください。私のそばに座ってください。あなたがどんなにおいなのか知りたいのです。それがキリストの香りなら、私に洗礼を授けてもいいですよ』」。

ドン・ボスコが宣教師たちのために記した5番目の勧めは「病人、児童、老人、貧者を特別に世話しなさい」というものでした。

「境界線を越えることのできる」刷新されたメンタリティーで立ち向うべき時代に私たちは生きています。ますます境界線が閉じてしまうおそれのある世界で、私たちの生き方の預言はここにもあります:私たちには境界線がないと示すこと。私たちが生きる現実はただ、神、福音、使命だということです。

私が夢見ているのは、今日、そしてこれから将来にわたって「ドン・ボスコのサレジオ会員」といえば、それを聞いた人々にとって「少しばかり狂った」奉献生活者を意味することです。「狂った」というのは、私たちが若者たち、とりわけ最も貧しく、見捨てられ、無防備な彼らをまことのサレジオの心で愛するからです。これは今日、ドン・ボスコの息子たちに与え得る最も素晴らしい定義だと私は思います。私たちの父もまさにそう望むだろうと私は確信しています。

彼らは今日も生涯を神に捧げるために出発します。それは言葉によってだけではありません。修道会は血の犠牲も払ってきました。殉教者ルドルフ・ルンケンバインが司祭叙階の時に選んだモットーは「仕えるために、いのちを献げるために私は来た」でした。1974年、最後にドイツを訪れた時、彼の母はくれぐれも注意するように諭しました。周りの人々から彼が危険を冒していることを聞いたからです。彼は答えました。「お母さん、どうして心配するの。神様のために死ぬより、素晴らしいことはないんだよ。それが僕の夢なんだ」。

これからの6か年、私たちの家族はより大いなる普遍性に向かって、境界線を設けることなく歩んでゆかなくてはならないと私は確信しています。国家には国境があります。宣教の使命を支える私たちの寛大さは限界を知らないものであり、知らないものでなければならないのです。修道会として私たちが証しする預言は国境を知りません。

ある宣教師が、ボリビアのコチャバンバに近い山の先住民のためにミサを捧げたことを話してくれました。彼は若い司祭で、ケチュア語はほとんど知りません。ミサが終り、家に向っている時、彼は自分がしくじり、何も伝えられなかったと感じていました。そのとき、貧しい身なりの年老いた農夫が歩み寄り、若い宣教師に来てくれたお礼を言いました。

そして驚くべきことをしました。「私が口を開く前に、年取ったお百姓さんは外套のポケットに手を入れ、色とりどりのバラの花びらを両手いっぱい取り出しました。つま先立ちして身振りで私に頭を下げるように頼みました。彼は私の頭に花びらを降りかけました。私は言葉を失いました。彼は再びポケットを探ると、さらに両手いっぱいの花びらを取り出し、同じ動作を繰り返しました。赤やピンク、黄色の花びらにはおしまいがないようでした。私はただそこに立ってなされるがままにしていました。自分の皮サンダルが涙でぬれて花びらでおおわれるのを眺めながら。すべて終えると、彼はいとまを告げ、私はバラの新鮮な香りに包まれて、ひとり残されました」。

世界中の数えきれない家族が、彼らの只中で「福音」となったサレジオ会員に対する感謝の気持ちでいっぱいであることを、私は経験から皆さんに伝えることができるのです。

皆さんに神様の祝福がありますように。

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》


イエスのカリタス修道女会の眞倉シスターから、若者の皆さんへメッセージ動画をいただきました!ぜひご覧ください☺️

また眞倉シスターは、SYM夏合宿in長崎に同行してくださり、お世話になりました。

11月からは、フィリピンへ派遣されます。今までの感謝の気持ちを込めてシスターのためにも皆さんもお祈りしましょう


サレジオ会のフェルナンデス総長の4月のメッセージ「痛みと希望の間に」が公開されています!

今回はウクライナでの戦争について触れ、平和を願うメッセージとして掲載されております。

ぜひご覧ください!


ストレンナとは?

ストレンナは、イタリア語で「贈りもの」を意味する言葉です。

ドンボスコの時代から毎年何かの言葉を全世界へのストレンナとして掲げています。

そしてそれは同時に「サレジオ家族年間目標」でもあります!


今年は

「何事も愛によって行おう〜強いられてするのではありません、なにごとも愛によって行いましょう~(聖フランシスコ・サレジオの言葉)」です🌸


「なにごとも強いられてするのではなく、愛によって行わなければなりません」

この言葉は、ただのスローガンではなく、生き方であり、サレジオ家族の精神の特徴でもあります。


「愛徳は、私たちの祈りの計りになります。神への愛は、隣人への愛に表れるからです」と聖フランシスコ・サレジオは言います。

これはまさにサレジオらしい「生きた祈り」です。


サレジオ会日本管区公式サイトのストレンナのページ(https://salesio.jp/library/strenna)からは、こちらの資料や総長様のビデオメッセージ(日本語字幕:約20分)を閲覧する事ができます。是非ご覧ください!

こんにちは!

先日、浦田神父様によるボナノッテのお話がSYM公式Youtubeにアップされました!

この内容はSYM事務局員でも分かち合ったのですが、非常に勇気を受けるお話でした!

ぜひご覧ください!!


みなさまこんにちは!

サレジオ会総長による9月のメッセージが公開されました!


「聖なる生き方は、日々の小さな行いから始まるなのだなぁ」と感じさせられました😌❣️

ぜひお読みください〜!


以下、サレジオ会ホームページ(https://salesio.jp/news/17640)より引用



『自らのいのちを捧げてまでも』

TO THE POINT OF GIVING HIS VERY LIFE


その男を止められないとわかったとき、彼はこう言いました。「いのちを犠牲にしなければならなくとも、僕は君を通さないよ」。そして自爆犯は爆弾のスイッチを入れたのでした。

よき友であり、「ボレッティーノ・サレジアーノ」の読者である皆さん、

新学年度の始まりにあたり、心よりご挨拶申し上げます。この学年が希望や新しい計画、家庭的な雰囲気、そして他者に奉仕することにおいてさえも懸命に生きたいという願いに満ちあふれたものとなることを希望します。「…さえも」と書いたのは、すべての若者たちが他者に奉仕したいと望むことが当然ではないからです。けれども、多くの、実に多くの若者たちは望んでいます。

心にふれたいのちにまつわる出来事を皆さんにもお伝えすることを、どれだけ私が喜びとしているか、皆さんはご存じでしょう。ですから、今日、新年度の多くの計画、夢、期待を目前にして、ある青年のことをお話ししたいと思います。彼は私たちの家、運動場、グループにいる大勢の若者たちにとてもよく似ています。若いボランティア、公共の仕事に従事する若者、オラトリオやユースセンターのアニメーターたち。彼らは、人生の素晴らしさを分ち合いながら友人たちと共にいることを楽しむ若者たちでもあります。

私がこれから話そうとするのは、パキスタンのサレジオ会学校の卒業生で、何十人もの人々のいのちを助けるために「あっさりと」殉教者として爆弾の犠牲になった青年のことです。もちろん私は皆さんにも同じことをするように頼むのではありません。けれども、若者たちには何でもできる、英雄的な行為でさえ可能だということをお伝えしたいのです。

アカシュ・バシールの物語

アカシュ・バシールの生涯は意外なほどありきたりです。誠実で深い信仰をもつ慎ましい家庭に生まれたアカシュは、カトリック信者で、サレジオ会学校の卒業生でした。パキスタンのラホール市内、ヨウハナバードのキリスト教区域にあるサレジオの学校で学びました。

アカシュは、私たちの世界の他の若者たちと同様に普通の生活を送っていました。家族や友人たちの中で、学校や職場で、スポーツをしたり祈ったりしていたのです。もちろん、保守的なムスリムの信仰が主流のパキスタンのような国では、若いカトリックの信者であることは簡単なことではありません。信仰は肩書や家庭の伝統に止まらず、アイデンティティーなのです。彼の存在を他とはちがうものとした、単純でありながら大事な、生き方を貫く糸は「奉仕」でした。アカシュの人生のすべての瞬間は奉仕の行いでした。実際に彼は、地元の共同体に奉仕しながら亡くなりました。自らのいのちを捧げてまでも奉仕したのです。

2015年3月15日、ヨウハナバードの聖ヨセフ教会でミサが捧げられていた時、アカシュ・バシールが属していた若いボランティアから成る警備グループが入り口を厳重に守っていました。その日、いつもとは違うことが起きました。アカシュは衣服の下に爆弾を装着した人物が聖堂内で自爆する機会をうかがっていることに気づきました。その男を引き止め、話しかけてやめさせようとしましたが、どうしても止めることができないとわかった時、彼はこう言いました。「いのちを犠牲にしなければならなくとも、僕は君を通さないよ」と。その瞬間、アカシュは自分の身体を爆発を抑える盾としてテロリストに抱きつきました。そして自爆犯はスイッチを入れたのでした。その時教会の中で祈っていた数百人の人々、少年少女、母親たち、青年たち、男性たちのいのちを守るために自分のいのちを捧げて、私たちの若い卒業生は亡くなりました。アカシュはまだ20歳でした。

この出来事はサレジオ会員である私たちとサレジオ家族に深い感動を与えました。当然私たちは若いアカシュのことを忘れることはできませんし、忘れたくもありません。彼の飾らない普通の人生は確かにラホール、さらにパキスタンと私たちのサレジオの世界全体に住む若いキリスト者にとって、大切な意味を持つ、この世を超える価値を示す手本です。

彼の母親は言いました。「アカシュは私の心の一部でした。でも私たちの幸福感は痛みよりも大きいのです。彼は薬物中毒や事故で亡くなったのではないからです。彼は普通の若者で、神様と教会の人たちを助けて主の道で亡くなりました。アカシュはもう私たちの聖人なのです」。

今ではアカシュの弟のアルサランが教会の警備チームの一員となっています。「私たちは彼を止めませんでした。私たちの子どもたちが教会に奉仕するのを邪魔したくはないからです」と母親は語っています。

今日の若き殉教者たち

奉仕の価値を忘れてしまった人々もいるでしょう。神のおきてには、隣人に対する愛と奉仕も含まれていることを、もしかすると私たちキリスト者は忘れているかもしれません。アカシュはそのことをよくわかっていて、自らの若い人生においてそれを実行しました。小さなことに忠実であった彼は大いなることにおいても忠実になれました。自らのいのちを捧げて彼は何百人もの人々を助けたのです。アカシュ・バシールの死は、多くの人々の救いのために十字架にかけられたイエスの愛を示しています。

このような奉仕する生き方、深く簡素な祈りの生き方、隣人に対する愛の生き方は、疑いなくサレジオ的教育法の明白なカリスマのしるしです。私たちの事業のすべての生徒・学生は、聖性に達するためには、神を、また私たちにとって大切な多くの人々を心から愛することによって幸せでいること、相手がよく知らない人でも関心をもち、世話をすること、日常的な義務の責任を果たすこと、奉仕すること、祈ること、それだけでよいと知っています。アカシュ・バシールはこのことの生きた手本です。彼はキリスト者皆にとって聖性の手本ですし、世界中のすべての若いキリスト者にとっての手本なのです。ですから、今日でも、聖人になれるのです!

一方でアカシュは、特にパキスタンの若いキリスト者や宗教上の少数派の若者たちの代表でもあります。アカシュ・バシールは、カトリックが少ない国々で、攻撃され、迫害され、辱められ、信仰のためにいのちを奪われる多くのキリスト者の象徴的存在、しるし、声なのです。アカシュはきわめて多くの勇敢な若い人々の声です。彼らは、貧困、宗教上の過激主義、無関心、社会的不平等、差別、人生の困難にもかかわらず、信仰のために自らのいのちを差し出すことができます。

ここに数名の若い聖人もしくは福者を挙げてみます。聖ドメニコ・サヴィオ(1857年帰天)、聖マリア・ゴレッティ(1902年)、福者ピエル=ジョルジョ・フラッサティ(1925年)、若き聖ホセ・サンチェス・デル・リオ(1928年)、そして最近列福された若者、カルロ・アクティス(2006年)。

彼らと同じように、おそらくは「知られざる聖人」として、アカシュ・バシールの生涯と殉教は今日の世界において、憎しみの闇から発した信仰の光です。

アカシュの生涯は今日のカトリック教会の力強いあかしです。それはかつての初代キリスト教共同体のことを私たちに思い出させるものです。彼らはイエスへの信仰と対立する文化や思想のただ中で生活していました。『使徒言行録』の共同体も少数派でしたが、神へのはかり知れない信仰をもっていました。この弱冠20歳のパキスタンの青年の生涯と殉教は、神の聖霊の力を私たちに認めさせてくれます。聖霊は、最も思いがけないところに、慎ましい人々、迫害されている人々、若者たち、神の「小さき者たち」のうちに、生きて現存しておられるのです。

パキスタンのサレジオ会学校卒業生アカシュ・バシールは私たちの予防教育法の生きたあかし、私たちの青年たちの模範、宗教的少数派にとっての祝福です。

皆さんにとって、さらに皆さんの家庭、共同体、事業所にとってよき新学年度の始まりとなりますように。

総長アンヘル・フェルナンデス・アルティメ神父

《翻訳:サレジアニ・コオペラトーリ 佐藤栄利子》


神様の愛が皆さんの心の奥深くまで沁み渡りますように✨




扶助者聖マリアの祭日おめでとうございます!

昨日までの5日間のYouTubeでのライブ配信は、たくさんの方がいらっしゃってくださいました。ありがとうございました。

本日の扶助者聖マリアのお祝いに際し、SYM担当のサレジオ会浦田神父様からメッセージをお届けします。

ロザリオライブは、過去5年間の夏の巡礼を青年たちのトークライブで振り返りながら、聖母月にあたり、5月25日の扶助者聖マリアの記念日に向けて、ロザリオを毎日1連ずつ、皆さんと共にささげていく企画です。


5月20日より5日間、毎日21:00~YouTubeライブにて配信いたします! 限定公開のため、ご視聴の際は下記埋め込み または こちらよりアクセスしてください。

※YouTube上で検索してもヒットしませんのでご注意ください。

※ライブ配信終了後も動画はご覧いただけます。


* * *


5月24日(日)・ロザリオライブ最終日は、2019年夏の「SYM夏合宿 in 奄美大島」についてのトークライブから始まります!

SYM同伴司祭の浦田慎二郎神父(サレジオ会)と、実際に奄美巡礼に参加した青年たちとでお届けいたします。ぜひ、お楽しみに😆


▼配信スケジュール

21:00ごろ~ 2019年夏「SYM夏合宿 in 奄美大島」についてのトークライブ

21:30ごろ~ ロザリオライブ 5連目

21:40ごろ 配信終了予定

ロザリオライブは、過去5年間の夏の巡礼を青年たちのトークライブで振り返りながら、聖母月にあたり、5月25日の扶助者聖マリアの記念日に向けて、ロザリオを毎日1連ずつ、皆さんと共にささげていく企画です。


5月20日より5日間、毎日21:00~YouTubeライブにて配信いたします! 限定公開のため、ご視聴の際は下記埋め込み または こちらよりアクセスしてください。

※YouTube上で検索してもヒットしませんのでご注意ください。

※ライブ配信終了後も動画はご覧いただけます。


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5月23日(土)・ロザリオライブ4日目は、2018年夏の「サレジオ青年イスラエル巡礼」についてのトークライブから始まります!

巡礼に同伴してくださった赤木純子シスター(サレジアン・シスターズ)とSYMサポーター、実際にイスラエル巡礼に参加した青年たちとでお届けいたします。ぜひ、お楽しみに😆


▼配信スケジュール

21:00ごろ~ 2018年夏「サレジオ青年イスラエル巡礼」についてのトークライブ

21:30ごろ~ ロザリオライブ 4連目

21:40ごろ 配信終了予定