学びのコラム

 毎年夏に行われるSYM夏合宿では、合宿終了後、参加した青年に感想文を書いていただき、それらを文集にして、お世話になった方々へお送りしています。

 今年2019年も、8月23日(金)~27日(月)の4泊5日で「SYM夏合宿2019 in 奄美大島」を開催し、感想文集をつくりました。合宿に参加した青年たちが受けた恵みをより多くの人と分かち合うべく、感想文のいくつかを、1つずつ分かち合っていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。

※WEB上での公開にあたって、本人の希望によりペンネームを使用する場合があります。


★今回は、青年に同伴したシスターの感想文をご紹介します。


SYM奄美巡礼に参加して


イエスのカリタス修道女会 Sr. B.M.M


 「SYM奄美巡礼」参加依頼を受けたとき、また奄美に行けると思い、とてもうれしかったです。またSYMの巡礼には2度目の参加ですが、今回はどんな青年たちとの出会いがあるのかワクワクしながら参加しました。

 奄美は自然も豊かですが、どの教会でも(どんなに朝早くても)私たちを温かく歓迎してくださり、また歩いている私たちを見て、お茶や果物を差し入れしてくださった方など、島に住む人たちの温かさに触れることができ、松永神父様ではないですが本当に「ありがたかった!」という思いでいっぱいです。

 プラネタリウムのように はっきり見える星空を見ながらのスタート。途中通り雨にあったり、交通事故にあったイノシシに遭遇したり、ハブを見つけたり(弱って動かない)、きれいな海を見ながら、一緒に歩く仲間たちといろいろな分かち合いができたことは、とてもいい恵みの時でした。神さまが出会わせてくれたこの奄美の人たち、メンバーに感謝しつつ、またどこかで会える日を楽しみにしています。

 陰ながら支えてくださった、奄美教会の神父様・信者さん・シスターたち、またSYM事務局のスタッフの方々、本当にありがとうございました。


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 毎年夏に行われるSYM夏合宿では、合宿終了後、参加した青年に感想文を書いていただき、それらを文集にして、お世話になった方々へお送りしています。
 今年2019年も、8月23日(金)~27日(月)の4泊5日で「SYM夏合宿2019 in 奄美大島」を開催し、感想文集をつくりました。合宿に参加した青年たちが受けた恵みをより多くの人と分かち合うべく、感想文のいくつかを、1つずつ分かち合っていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。
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攻めてよかった


ディマリア(24歳男性・大学生)

 SYM夏合宿は一昨年の宮崎以来、そして事務局スタッフとしての参加は初めてでした。
 じつを言うと就職試験と今回の巡礼の日程が被っていたため、当初は参加をあきらめていました。そこで浦田神父様から途中参加でもよいから来ないかとお声がけいただき、さんざん迷った挙句、参加することにしました。就職試験に挟まれた日程なうえに、合流日の午前中は就職試験に行ってから空港に向かうというなかなかのスケジュールで、友人には「攻めたスケジュールだね」と大層驚かれました。試験を終えた後、スーツを脱ぎ捨て空港へダッシュ。そこまでして参加したのは、今年が大学最終学年で来年からはこういうことに参加しづらくなるだろうという考えと、やはり神父様に遅れて参加でもいいから来ないかと誘われたことが、神さまから呼ばれているのかもしれないとふと思ったからでした。
 結果として本当に、本当に行ってよかったです。
 巡礼では参加者それぞれの召命を聞く時間もあり、だれしも少なからず神さまとのドラマがあり、神さまのお導きを強く感じた巡礼となりました。
 そして夜中から教会を巡って歩くという迷惑極まりない企画にもかかわらず、奄美大島の多くの方が夜中からサポートしてくださったり、宿泊の手配をしてくださったり、おいしいご飯を用意してくださったり……。本当に恵まれた、そして奄美大島の方々の心の温かさに包まれた巡礼でした。
 とくに印象に残ったのは、打ち合わせの段階で人がいないだろうと予想していた教会でもお出迎えに待ってくださっていたことです。すべての教会で待ってくださり軽食を用意してくださったりとしていただき、とても心に打たれた出来事でした。
 また、スタッフとして延泊をし、ごちそうしていただいたその日の夜、とても心に残るお言葉をいただきました。
 「君たち若い人たちが来てくれたから、奄美の私たちもこうして集まることができて、神さまに心を向けることができた。そして私たちもこれから、たとえば教会学校などで若い人たち、子どもたちのためにがんばらなきゃと思えた。本当に来てくれてありがとう」。
 これ以上にうれしい言葉があるでしょうか。私たちは本当に偶然、神さまのお導きのもと奄美大島に巡礼をしに行きました。こんなにも行ったことを喜んでくださり、そしてよい働きかけを受けたとおっしゃってくださいました。これこそ若い力でもあり、奄美大島の方々の温かさであり、神さまからのお恵みなのだと強く感じました。
 最後になりますが、今回お世話になりました、奄美大島の皆様すべての方に心からのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。奄美大島のすべての方が神さまからのお恵みで満ちるよう、お祈りしています。

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 毎年夏に行われるSYM夏合宿では、合宿終了後、参加した青年に感想文を書いていただき、それらを文集にして、お世話になった方々へお送りしています。
 今年2019年も、8月23日(金)~27日(月)の4泊5日で「SYM夏合宿2019 in 奄美大島」を開催し、感想文集をつくりました。合宿に参加した青年たちが受けた恵みをより多くの人と分かち合うべく、感想文のいくつかを、1つずつ分かち合っていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。
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人の目には不思議なこと


えん(25歳女性・社会人)

 「人が想像する範囲のことはすべて現実に起こりうる」。私の頭の中心には、常にこの思考がドンと座っている。おかげさまで、たいていのことに驚きがなく、悲しいかな感動も少ないのが常だ。それでも、そんな私であっても、まったくの思いもよらず、心を動かされる時がある。喜瀬教会でのサトさんとの出会い、そして過ごした時間が、私にとってまさにその時だった。
 徒歩巡礼の1日目、少し遅れを取りながらも、灼熱の太陽の下、一所懸命に歩みを進めて喜瀬教会に辿り着くと、真っ白なみ心のイエス像と、サトさんお一人が私たちを待っていてくれた。ここで、誰かに会う予定はなかったので、少し驚いていた。「やっぱり島の人は温かいな~」などと思いながらお話を聞いていると、「若い人たちがわざわざ来てくれるのに、このままじゃ恥ずかしいと思ってね、ここを片付けたり、ご像を塗り直したりして」と。……今、なんて? ご像を塗り直しただって? 聞けば、喜瀬教会は今は機能しておらず手付かずの状態だったところ、私たちが6月の頭に送った奄美巡礼のポスターを見て、人が来てくれるのだからとご家族ともう一人の信徒さんと協力して聖堂の中を片付け、掃除をして、そして煤で黒く汚れていたご像をも、白いペンキで塗り直し、きれいにしたのだと言う。「日本人はやっぱり恥の文化だなと思いましたよ」と、サトさんは言っていた。聖堂の壁には、奄美のさまざまな顔が切り取られた写真(サトさん撮影)がしゃんと飾られ、塗り直され美しくなったご像の写真もポストカードにして一人ひとりにプレゼントしてくださった。さらに用意された紅白のドラゴンフルーツと、自家製の梅ジュースに心と体を癒やされながら、「こんなことがあるのか?ありえるのか?」と、とても信じられない気持ちでいた。皆でロザリオを1連祈った後、サトさんが大好きな歌をプレゼントしてくれた。私たちもお礼に、一緒に歌をうたった。こんなふうに、祈りの言葉や歌声が聖堂いっぱいに響いたのはいつの日か、と考えたりもした。「共に祈れてよかった」「ポスター作ってよかった」「悩んだけど、ここへ来てよかった」と、いろいろな思いが込みあがって、心がジーンとした。このとき、私は長い長い感動のうちにいたと思う。
 東京へ戻る飛行機の中で、島の余韻に浸りながら、予想外のことばかりだったなと考えていて、ふと気づいた。「そうか、これが神さまの業なのか」。それは、幸せな発見だった! 私の頭の中心にある「人が想像する範囲のことはすべて起こりうる」という考えの上に、「人が想像することのできない恵みをもたらすのが、神の業である」という思考が覆いかぶさったのだった。
 「これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」(マタイによる福音書21章42節)。サトさんをはじめ、奄美大島の方々が私たちにしてくださった、すべてのことに感謝して!

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 毎年夏に行われるSYM夏合宿では、合宿終了後、参加した青年に感想文を書いていただき、それらを文集にして、お世話になった方々へお送りしています。
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★今回は、青年に同伴したシスターの感想文をご紹介します。

すべてに感謝

「神のはからいは、限りなく、生涯わたしはその中に生きる」


マリア・ドメニカ

 何よりも思いがけずに、すばらしい巡礼に参加できたことを感謝しております。このような機会がなければ、奄美に行くこともなく、奄美の信者の皆さんの歴史にも触れることもなく、真剣に人と神との出会いを大切にしている若者がいるということを知る機会もなかったのではないかと思います。
 皆さんと一緒に歩くことは難しかったのですが、共に祈り、食事をし、分かち合うことができたたこと、何か自分できることで巡礼に参加することができたことは、幸いであり、大きな恵みのひとときでした。
 奄美の自然の美しさと信者の皆さんのあたたかいおもてなし、どちらの教会でも歓待していただき、私たちの到着前から準備をしてくださり、また、去った後も教会に残り私たちのためにロザリオの祈りをささげてくださっている姿から多くのことを学びました。厳しい弾圧の中でも信仰を守りとおした信者の皆さんの信仰生活の一面にも触れることができました。おいしい奄美の味覚ももちろんですが、カトリック教会という大きな家族を感じることができた日々でした。また、カリタスのシスター方の家に宿泊させていただき、特にサレジアン・ファミリーとして、まるで自分の修道会の家のように過ごすことができました。カリタスのシスター方とより親密になったように感じています。
 皆さんが、祈りながら歩みを進めていったその後をアリマさんのご厚意によってすべての教会を巡ることができました。初めて訪れる教会で、皆さんのため、そして祈りを約束した方々のために祈ることができたのも幸せなひとときでした。
 大自然をとおして創造主なる神と出会うことは、私のカトリック信仰の始まりでした。私の育った地は美しい山々や湖でしたが、奄美は美しい透きとおるような海と山々でした。もう一度この奄美で創造主なる神と出会うことができ、大きな神の愛を感じることができました。やはり自然はすばらしいメッセージをもっていると再確認した日々でした。
 そして、何よりも皆さんと出会ったことで、日本の社会、カトリック教会の未来に希望があることを実感しました。また、何かの機会にご一緒できたら幸いです。皆さんのこれからのご活躍をお祈りしております。
 企画をしてくださった浦田神父様はじめスタッフの皆様、本当にありがとうございました。そしてお疲れさまでした。声をかけてくださってありがとうございます。このようなことしかできませんが、また機会がありましたらお声をかけていただけたらと思っております。
 神さまの計らいに、出会った方々に、そしてこの恵みの日々に、すべてに感謝!

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 毎年夏に行われるSYM夏合宿では、合宿終了後、参加した青年に感想文を書いていただき、それらを文集にして、お世話になった方々へお送りしています。
 今年2019年も、8月23日(金)~27日(月)の4泊5日で「SYM夏合宿2019 in 奄美大島」を開催し、感想文集をつくりました。合宿に参加した青年たちが受けた恵みをより多くの人と分かち合うべく、感想文のいくつかを、1つずつ分かち合っていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。
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SYM奄美巡礼を終えて


J・A(28歳男性・神学生)

 SYMの巡礼に参加するのは、今回が初めてでしたが、とても良い体験をさせていただきました。私は、乗り物に乗る際に窓際が好きなのですが、今回も東京から奄美大島に向かう飛行機の窓を覗いていると、奄美大島の青さの濃淡で綺麗に3色に分かれた海と珊瑚礁が見え、これから出会う奄美の皆様や共に巡礼をする人たちとの出会いに胸を膨らませながら、奄美に到着したことを今でも鮮明に覚えています。
 教会を巡り歩き、それぞれの所でロザリオを1連唱えながら3日間巡礼を行いましたが、参加者の皆さんは勿論のこと、一緒に歩いてくださった神父様や朝早くから教会で私たちを待ってくださり、おもてなしをしてくださった信者の皆様と関わることができたたことをうれしく思っております。その中でも、信者さん方の自分の教会に対する思いや信仰について聞くことができ、改めて自分がどれほど神さまを中心に据えて生活できているのかを考える機会となりました。「神さまを愛している人には行いが伴っている」ということを目に見える形で教えられたように思えます。
 大自然に囲まれて、元気で明るい参加者の皆さんと一緒に共に過ごした日々も私にとって大切な思い出となりました。2日目までは、参加者一人ひとりの表面的な部分しか分かち合えませんでしたが、3日目以降からは皆さんのこれまでの人生の歩みを分かち合うことができたことをうれしく思っています。自分も話す機会をいただけたことに感謝していますし、何よりもその後、皆さんが参加一人ひとりの歩みを喜んで聞いている雰囲気がとても好きでした。このような雰囲気ができたのも4泊5日という少し長い巡礼だったからのようにも思えますし、神さまからのお恵みだったようにも感じます。そんなふうに盛り上がっている中、私は一人後ろを歩いていたのですが、弟子たちがエマオへの旅で復活したイエスに気がついたときに、自分たちの心が燃えていたことに気がつくというあの場面を今、ここで私も体験しているのではないかと感じていました。
 最後に、奄美大島の教会の皆様、スタッフ・参加者の皆様に再度、感謝を申し上げます。サレジオ会の会員となってまだ日が浅い私ですが、皆さんとのかかわりをとおして、神さまからの呼びかけに応えていく力を与えていただきました。いつも皆さんと祈りでつながっていると信じながら、これから出会う多くの人に神さまの愛の証しとなれるよう成長していくことができればと思っております。これからも皆さんが神さまからのお恵みに支えられてそれぞれの歩みを続けていくことができますよう祈っています。

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 毎年夏に行われるSYM夏合宿では、合宿終了後、参加した青年に感想文を書いていただき、それらを文集にして、お世話になった方々へお送りしています。
 今年2019年も、8月23日(金)~27日(月)の4泊5日で「SYM夏合宿2019 in 奄美大島」を開催し、感想文集をつくりました。合宿に参加した青年たちが受けた恵みをより多くの人と分かち合うべく、感想文のいくつかを、1つずつ分かち合っていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。
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神さまの愛に生きる。


K・T(20歳女性・大学生)

 「俺は、神さまに生かされてるんだ」。
 これは、今回の巡礼中に、神さまが出会わせてくださった信者さんの言葉である。私の心に今も響いているのは、この言葉そのものに感動したからではない。その方が、この言葉どおりに、神さまに心を向けて行動していることに感動したからである。まるで神さまに恩返しをしているかのような、そのような振る舞いだった。
 今回の奄美大島の巡礼では、このように、行いをもって神さまの愛を体現している方に多く出会った。各教会でのおもてなしはもちろん、奄美大島で出会った方一人ひとりの言葉や行いをとおして、多くの愛をいただいた気がする。そしてそれは、神さまがその方々をとおして伝えてくださった愛だと強く感じた。神さまの愛そのものだと思った。そう信じてみたい。
 そして私もその愛を受けて、同じように、またそれ以上に、神さまの愛を体現できる人間になりたいと思った。そして同時に、この流れこそが、神の国なのではないかと思った。ちなみにイエスは神の国に関して次のように述べている。「『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。じつに、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカによる福音書17章21節)。
 しかし、じつは、奄美大島で受けた神さまの愛はもっともっと深かった。それは、神さま自身が造られた自然をとおして受けた愛である。その自然から受けた感動は今でも鮮明に思い出す。それは前乗り準備日の早朝のことであった。その朝はめずらしく早く目が覚めたので、これは神さまがお祈りしてほしいと願っているのかなと思い、外に出てみたのだが、そうしたらその空があまりにも、恐怖を感じるほどに美しかったのである。今まで見たこともないくらいのピンク色の雲と深い水色の空の中に、太陽の光が雲をとおして神々しく輝いていて、思わず「うわ、神さまじゃん」とつぶやいてしまったのを覚えている。空に包まれているような感覚と、そのうれしさと感動で涙があふれたのも、今考えてみると聖霊の働きだったのだろうと強く思う。またもや、神に感謝、なのである。
 このように、私にとって奄美大島は、今まででいちばん神さまの愛を強く感じられた地だった。本当に魅力的な地だった。神さまの愛が豊かにあって、神の国が広く実現している地だと思った。奄美大島に教会があんなにもたくさん造られたことにも、大納得である。
 「すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます」(エフェソの信徒への手紙4章6節)。自然の中にも、私の中にも、神さまは常にいらっしゃる。今回、こんなにも神さまの愛を強く感じたからには、私ももっと、「生かされている」という感覚をもたねばならないと思った。そして、神さまの愛を体現していきたい。神さまの、無限の、無償の、大きな愛を、人に対する行いをもって讃えたい。

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 毎年夏に行われるSYM夏合宿では、合宿終了後、参加した青年に感想文を書いていただき、それらを文集にして、お世話になった方々へお送りしています。

 今年2019年も、8月23日(金)~27日(月)の4泊5日で「SYM夏合宿2019 in 奄美大島」を開催し、感想文集をつくりました。合宿に参加した青年たちが受けた恵みをより多くの人と分かち合うべく、感想文のいくつかを、1つずつ分かち合っていきたいと思いますので、ぜひご覧ください。

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SYM夏合宿 in 奄美大島に参加して


キク(21歳女性・大学生)


 まず、この神さまのお恵みにあふれた巡礼に参加することができたことに感謝いたします。

 今回の巡礼は、本当にたくさんの方のあたたかさにふれたものでした。朝早くから私たちのことを送ってくださったり、おうちに泊めていただいたり、それぞれの教会でずっと待っていてくださったり、冷たいお飲み物や食事、お菓子を用意してくださっていたり、また、すれ違っただけなのに心配して差し入れをしてくださったり……。そして、今回出会えた方だけでなく、準備をしてくださった方、巡礼がよいものになるように、陰ながらお祈りしてくださっていた方など、多くの方のおかげですばらしい巡礼ができたことに心から感謝しています。私たちは神さまの愛によって出会うことができ、また、この出会いから神さまの愛を感じることができました。

 さて、すでに東京に帰ってきてから1週間が経とうとしていますが、今、この巡礼を振り返ると美しい情景ばかりが思い出されます。教会でお祈りしているとき、その声がいつも以上に大きく響いて聞こえたこと、訪ねたそれぞれの教会で待っていてくださった信者さん方との出会い。またその方たちと一緒にお祈りしたり、歌をうたった時間。5月の下見のときには、5つのパイプ椅子が置かれていた教会に、10数個のパイプ椅子が置かれていたこと。また、普段は建物に阻まれた空ばかり見ていますが、視界の端から端まで、それも瞬く間に表情を変える空の様子。フルーツの断面のみずみずしさ。そして、海やさとうきび畑を見ながら歩き、参加者それぞれの人生や生き方について話したこともすてきな時間でした。人も自然もとても美しい形で、私の記憶に残っています。

 ところで、私は歩くことが大好きですが、巡礼で歩くのは特に好きです。ある目的地に向かって、みんなで辛さや苦しさ、そして美しさを共有し、時には多くの方々に助けてもらい、そしてまた元気に歩く。この、私たちの生き方を歩いて体感することがSYMの歩く目的でもあると思います。そして、私はそのように生きたいし、今回の巡礼のように振り返ったとき、すべてが美しいと言えるように生きていきたいです。

 今回、お世話になったすべての皆さま、本当にありがとうございました。お祈りしています。


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 11月10日(土)に開催した「第19回 SYMの集いスペシャル~総長と若者の集い~」で行った聖体礼拝の際の、フェルナンデス総長の説教です。

福音朗読箇所:ルカによる福音書24章13-35節[エマオでの弟子たちと復活のイエスとの出会い]

※当日の臨場感をお伝えすべく、録音をもとに、なるべく総長の発言(翻訳)に忠実にまとめています。


 ご聖体の前での10分間の沈黙の前に、今読んだ福音について短い話をしましょう。

 今日の福音箇所は私が選びました。なぜかというと、先ほど話したシノドスでこの福音がイコンとして選ばれたからです。この福音は、弟子たちが復活したイエスに出会うという場面です。皆さんもよく知っているかなと思います。3つの大切な瞬間があるんですね。

 1つ目。イエスは最初に2人の弟子と一緒に歩き始めて、彼らの言うことを聞くんです。彼らが心に思っていることを話させるのです。これは私たちにとってのいいヒントになっています。他人のことばを深く聴くというこの歩みを、私たちもしなければなりません。

 もう1つ強調すべき点があります。私が自分の召命の話をしましたが、全員自らに質問できると思います。今日までの道のりというのは、私だけでなく神様が一緒に歩いてくれたということです。私が気づかないように、彼が一緒にいてくれたのです。

 彼らは家に着きます。弟子の2人はイエスに「一緒にお泊まりください。もう日も傾いていますから」と言います。イエスは最後の晩餐と同じように、パンとぶどう酒を一緒にいただきます。福音では、この瞬間に2人は彼がイエスだと分かったと書いてありますね。彼らは深いレベルでイエスだと分かったということです。彼らは深い体験をした。心の中で深いイエスとの出会いがあったということが分かります。

 親愛なる若者の皆さん、教皇ベネディクト16世がこのように言いました。「キリスト教は哲学ではありません。原理でもありません。知恵を学ぶということでもありません。キリスト教はイエス、神との個人的な出会いの体験です」

 一人ひとり問いかけるといいでしょう。自分の人生においてイエスと出会ったかと。私は自分の人生において、何回かイエスが一緒にいてくれたと感じることができました。本当に私は彼と一緒にいたということができます。というよりも神学的には、彼こそが私と一緒にいてくれた、もしくは、イエスが私の人生の中にいてくれたということです。

 たとえ皆さんがキリスト教徒でなくても、自分の人生の中で神を発見できる、人生において神のための場所があるのだということ。こうしたすべてのことをイエスがきょう私たちに言ってくれています。イエス様が私たちと共にいたいということです。彼が、友である弟子たちにしたことと同じことを私たちにもしたいということです。

 最後に3つ目のポイントです。彼らは家にいて寝るために幸せになったわけではありません。彼らは自分たちの体験したことをすぐにほかの人たちに伝えたいという気持ちになったのです。イエスが自分たちの人生にいたということ。その感動、確かさをほかの人たちに伝えたいと思った。自分の神との合一を分かち合い、伝えていきたい。自分の奉仕、人格をほかの人たちに捧げたい。自分の人生を愛しながら捧げていきたいと思ったのです。

 皆さんにこれからの沈黙の中で味わうためのヒントを差し上げました。イエス様が皆さんの人生を抱きしめてくれるということを想いましょう。あなたの心を抱きしめてくれるということを想いましょう。

11月10日(土)に開催した「第19回 SYMの集いスペシャル~総長と若者の集い~」での、フェルナンデス総長の講話の内容です。当日の臨場感をお伝えすべく、録音をもとに、なるべく総長の発言(翻訳)に忠実にまとめたものを、ここで分かち合いたいと思います。


 今から私の話ですよ、秘書のホラシオ神父さん(笑)。とても短くて単純な話をしましょう。

 今この時に、形式的なことをしたくないからです。今日のようにみなさんの自発性に期待しています。レクリエーションの時間、自己紹介などをしてきました。そして今この時、あとで祈りの時間もありますが、個人的にお互いに挨拶することもあるでしょう。ホラシオ神父さんやクレメンテ神父さんにサインをねだることもあるでしょう。思い出の写真を撮ることもあるでしょう。私たちはみなさんのためにここにいるのです。みなさんのとても近くにいたいから。みなさんには形式的にならないように願います。もっと近くに来てください。

 質問の答えでいろいろなことを言いましたが、私が自分の生涯の話をしても分かることは、人生にとってすばらしいことがあるということです。みなさんそれぞれの人生にすばらしいことが起こるのです。どんな過程であっても同じです。あなたの職業や勉強や宗教が何であろうと、カップルの体験を始めたり、あるいは召命の識別をしたりすることもあるでしょう…すべてはよいことです。

 ドン・ボスコが若者に言っていたあるすばらしいことばを紹介しましょう。「君たちが若者であるというだけで、私は君たちを熱愛する」。私にとって皆さんの人生は、とても貴重なものです。ドン・ボスコの別のことばに「私は君たちのことを信じている」というものもあります。私はみなさんの可能性を信じています。これはドン・ボスコが言っていたことです。

 私の言いたいことは、みなさんそれぞれにすばらしい価値・意味があるということです。人生の中で成長していくようにお願いします。寝る時の夢ではなく、将来の夢をもつようにお願いします。どんな若者にも必ず理想があるはずだからです。トヨタのために働くといった夢ではないですよ。夢というのは、何が私を幸せにしてくれるのか、ということです。自分の人生でどうやったら満たされた気持ちになれるのかということ。

 私は夕食の時にマナと一緒に食べました。彼女は仕事について話してくれました。マナは自分の職業よりももっと大きなものです。彼女の夢は自分の仕事よりももっと大きなものであるはずです。これが大事なことなのです。

 マリナは医学を勉強しています。それを聞いてうれしかったです。きっとこれは奉仕するという夢があるのですよね。ただ単にお金を稼ぐために働くというよりもずっとすばらしいことです。そしてその後に、家族をつくるということも夢見ることができる。学者になるということも夢見ることができる。夢があるということです。

 質問をします。まだまだみなさんには夢をもつ時間があります。みなさんの中で人生に夢があるという人は手を挙げてくれませんか?挙げていない人も後で見つけることができるでしょう。私たちは皆、理想をもつということが大切です。これが若者の最もすばらしいことです。

 世界を回っていくとはっきり分かることがあります。それは、若者は誰でもほかの人に奉仕したい、自分の時間を誰かのために捧げたいという気持ちをもっているということです。自分の人格を捧げる、ボランティアになる、信徒や修道会の宣教師になるとか、誰かに奉仕するというプロフェッショナルになるということです。自分の息子のために捧げる母親になるということもあるでしょう。

 自分の人生がほかの人に捧げる何かだと分かった時、人は幸せになれます。テレビではそんなことは教えてくれません。政治家からはそんな話は聞けません。スーパーマーケットでも聞けないでしょう。この深い真理は商業的ではないからです。これは本当なんです。
 人生で大きな夢をもつということは、人生を誰かのために捧げるものにするということです。自分が人生を捧げたいと思うとき、トヨタででもJALでするわけでもありません。誰か具体的な人のためにするということです。人生を捧げるということ。分かりますか?これは本当に素晴らしいと思うのです。
 もう一つ、皆さんの宗教が何であっても、私たちの多くはカトリックかもしれませんが、他の宗教の人もいるでしょう。でも、神なしに生きることだけはしないでください。これは幸せのための大きな理由、深い喜び、人生に意味を深く感じるための理由です。
 ある人が私に質問をします。人生で何をしたいのだろうか。私の人生は何のために役立つのだろうか。幸せになるために何をすればよいのだろうか。これが本物の質問です。若者の皆さん、ぜひこの質問を自分にしてみてください。
 もちろん、皆さんがいろいろなことを考えていることは知っています。ただ、自分自身、自分の価値、能力を信じてください。心の中で自分を貧しいと思うとしたら、それは違います。皆さん全員が豊かなのです。一人ひとり違うけれども、皆心が豊かなのです。
 人は感受性によってその違いが分かります。ある人はあまり話さないが他者にすごく奉仕する。ある人は誰かのそばにいることで他者を気持ちよくさせる。ある人は音楽の才能がある、ある人はとても声が素晴らしい…多くの価値があるのです。これが重要です。
 皆さんにがんばって前に進んでくださいというためには、これで十分でしょう。私は皆さんのことを信じています。私たちはここに皆さんの人生に同伴するためにいます。もし皆さんが望むのであれば。ありがとう!

11月10日(土)に開催した「第19回 SYMの集いスペシャル~総長と若者の集い~」では、フェルナンデス総長への質問タイムに、若者たちから5つの質問がありました。当日の臨場感をお伝えすべく、録音をもとに、なるべく総長の発言(翻訳)に忠実にまとめたものを、ここで分かち合いたいと思います。


Q 日本に来て、何かやりたいことはありますか?

A 質問ありがとう。ここに来たのは、皆さんを知るためです。昨日宮崎で会った若者も今日ここに来てくれています。昨日の写真は全世界に回りました。

 私がここに来たのは、皆さんに出会い、同伴するためです。サレジオ会員、サレジアン・シスターズ、イエスのカリタス修道女会のシスターたちに感謝するため、日本のサレジオ会の使命についてもっと知るために来ました。

 私と私たちにとってはすべてが新しいことです。この出会いを通して皆さんの近くにいることを感じられるのはとてもうれしいことです。日本を離れた後、いろいろな思い出と一緒にすてきな感情をもって帰れそうです。日本はもはや自分にとって遠い国ではありません。ありがとう。


Q 総長様とサレジオ会との出会いについて教えていただけませんか?

A どこに行っても同じ質問をされます(笑)。なぜサレジオ会員になったのか。私にとっても1つの神秘なのです。なぜ神秘なのか。それは、神様が何かをしてくださったと思うからです。

 ここにいてすばらしいと感じるのは、ここにいる何人もの人が召命の道を歩んでいることです。もちろんSYMの若者に会うこともすごくうれしいことです。すべての人に場所があります。ある人は修道会に入るという召命がある。ある人は職業への道がある。私は夕食のときに、将来の女医と食事を共にしました。カトリックの若者たち、キリスト者でない若者たちが一緒にここにいられるのはすばらしいことです。「あの人は私たちではない」ということはないですね。私たちは皆、神様の子どもです。皆さんのビジョンに感謝します。すばらしいことです。これを決して失わないようにしてください。

 それでは、私の歴史を短くお話ししましょう。私の秘書のロペス神父は150回ぐらい聞いているのでこの話に飽き飽きしていますが(笑)、興味深い何かがそこにあります。私はスペインの海の近くにある小さな村で生まれました。皆さん、魚が好きでしょ?私も魚が大好きです。私の父は50年間漁師をしています。私が10歳のとき、漁に出るため父が網の準備をしていました。すると、ある他の街のおばあちゃんが来て、海で休んでいたのです。父が網を広げると、おばあちゃんは海に散歩に行けたらいいと言いました。父は「いつか行きましょう」と行ったのです。数日後、一緒に散歩に行きました。こうして私の両親とおばあちゃんの友情が生まれたのです。

 2年後、そのおばあちゃんが両親に言いました。「あなたたちの息子は、将来何をするんでしょうね?」「彼は小学校を出れば私と一緒に漁に出るでしょう」「ああ、残念ですね。息子さんはもっと勉強できたらよいと思いますよ。私は若者たちと働いている人を知っています。サレジオ会員と言うのです」。私たちは、サレジオ会員について何も知りませんでした。母が私に聞きました。「お前、どうしたい?」私は「はい」とは言いませんでした。しかし、数か月後、サレジオ会の学校に行くことになり、5年間そこで勉強しました。しかし、サレジオ会員に飽き飽きしてしまい、これは本当ですよ。その学校を出てしまいました。私は医学の勉強をしに、大学に行きたかったのです。大学に入る準備を全部しました。

 でも、心の中に人生で明らかにしたい何かがあると感じていました。私は両親に言いました。「自分がサレジオ会員になるべきか知りたい」と。私たちのためにサレジオ会員がしてくれたことが好きでした。しかし、サレジオ会員に飽き飽きしていたことも事実です。ただ、心の中に何かが残っていました。両親は貧しく、父は夏に漁に出かけるために私を必要としていました。しかし、両親は「もしお前のためにそれがいいなら、行ってきなさい」と言ってくれました。それで、私はサレジオ会での自分の歩みを始めたのです。

 振り返ってみるとき、自分にとって謎があります。まず、サレジオ会員を知らなかったのに、おばあちゃんが現れて彼らのことを教えてくれた。そして両親は私を必要としていました。もし父が「一緒に漁に行ってほしい」と言っていたなら、私の識別はそこで終わっていました。両親は私に対してとても寛大だったのです。こういうわけで自分の歩みに謎を感じます。振り返ると、神様が私に同伴してくれていたと感じます。これが私のストーリーです。ありがとう。


Q 日本のサレジアン・ファミリーに会って、どのようなことを感じていますか?

A まだ家族のすべてを見たわけではありません。明日はサレジアン・ファミリーの日となっています。私はサレジアニ・コオペラトーリの人たちと会いました。今日も台所で活躍されていましたね。とても気に入りました。イエスのカリタス会、サレジアン・シスターズ2つの会のシスターたちが一緒にいることもすばらしいことです。そして、もちろんサレジオ会員が一緒にいることもすばらしい。

 SYMの若者たちに会えることもすごくうれしいです。皆さんの多くは学生でしょう。すでに働いている人もいると思います。私は日本のサレジオ家族のことを考えると、とてもうれしいです。私は皆さんの多くが将来修道者になったり、あるいは働いたりして、サレジオ家族のお父さん・お母さんになってくれることを願っています。ありがとう。


Q 言語的にみると、ローマと最も遠いのが東アジアの国々だと思います。ローマから発表される大切なメッセージをどうしても後から聞くことが多くなってしまいます。でも、今日は総長様がここにいらっしゃいます。先日若者をテーマとしたシノドス(世界代表司教会議)が行われ、総長様も参加されましたが、これから私たちが歩むべき旅路について、一言いただけますか。

A まず、日本は遠くありませんよ。私はローマやヨーロッパが中心とは思っていません。日本は日本、アルゼンチンはアルゼンチン、ナイジェリアはナイジェリアです。私としては文化が違うということは感じます。アメリカはスペインに近いと感じます。日本の文化は独特ですね。しかし、決して遠くはない。「すべては遠く、すべては近い」。分かります?この意味(笑)

 バチカンで行われた今回のシノドスには260人の司教たちが参加し、25名の若者も参加しました。その若者たちが、教会が若者に近いものとなるために何が必要かということを考えました。いろいろと話し合い、若者の声を聴きました。全世界から20万人の若者の意見が集められました。彼らが何を思っているか教えてほしい、教会に若者たちが何を求めているのか知りたいと。

 私は、このシノドスで最後に発表された宣言が気に入っています。「若者たちは誰にも自分たちの人生を指揮してほしくない。教会に自分たちの人生をコントロールされることを望んでいない」ということです。若者はルールばかりの教会を求めていません。でも、必ず「存在」を求めています。そばにいてほしい、人生の歩みをするときに同伴してほしいと。ですから、私が皆さんとこのように出会っていることはすばらしいことです。若者が誰かに自分の考えを分かち合いたいということ、誰かに自分のもっている心配や、人生をどう歩んでいるかを聴いてほしいということ、自分たちのために祈ってほしいということはすばらしいことです。これが一緒に歩んでいく、若者と同伴していくということで、今回のシノドスの最もすばらしかった点です。ありがとう。


Q 世界的に見て、SYMはどういう運動ですか?

A サレジオ家族がもっているすばらしいものが、このSYMです。世界のすべての若者たちがSYMにいることで家にいるように感じられる。サレジオ家族のさまざまなグループでそう感じられること、これはすばらしいことです。教会、学校、他のグループの若者たち。私たちには共通の何かがあるということですよね。それは、サレジオのスタイルが好きだ、ということです。若者らしいやり方でサレジオのスタイルを進めていく。サレジオの霊性も分かち合っています。喜び、友情のすばらしさ、他の人たちのすべてを受け入れる精神、こうしたことすべてがSYMの運動です。これが、世界のサレジオのすべてで起こっていることです。

 現在140の国にサレジオがあります。私がどこの国に行っても、文化は違うけれども、皆さんのような若者がいて、同じように感じることができます。これは大きな贈り物ですばらしいことです。これが続くように望んでいます。まだ幼いけれども後から私たちについてくる人たちには、皆さんが今体験していることを同じように体験する権利があります。これは決して当たり前のことではありません。ぜひ将来の若者たちのことを考えましょう。ありがとう。