【長崎巡礼:感想文紹介②】Nさん

5年前、当時学生であった私はSYMの宮崎県での巡礼に参加させていただいた。

当時は参加されていた方々の考えや意見を聞きながら、今後の人生にどう生かせるかということを必死に考えながら歩いていたように記憶している。


あれから5年経過し、もはや20代の参加者の中ではおそらく最年長と思われる年齢になった私は、今回の巡礼においては、道中で見る先人たちの足跡を学びつつ、20歳以降の人生を振り返ることが目標の一つであった。

そこで必要と考えていたのは、これまで体験した事象や考え、感じてきた思いについて自分自身に問いかけるという行為であった。

そこには教科書に載っているような答えは当然なく、それらが本当に正しいのかどうか確かめる手段もない。

自問自答をしているのであるから間違えたり、自分の想像とは違う考えや思いに至ることもあるだろう。



しかし、外海の隠れキリシタンの人たちは宣教師の数少ない教えを聞いたうえでキリスト教の信仰を決意し、それらを200年以上、複数代に渡り、自問自答を繰り返してきたのだと思う。

話は変わるが遠藤周作の「沈黙」では、キリスト教義の本質は日本人には浸透せず、それどころか変質させた形で教義が広がってしまう。

その状態を見た宣教師は己がしてきた行為の意味を見失い、次第に絶望していく過程が描かれている。



それは、まるで教義や信仰と呼ばれている何かを自分本位に捻じ曲げる日本人の性質と一見読めてしまうが、私はこの小説の本質はそこではないと考える。

狭く、険しく、地理上の周囲のつながりが少ない外海は生活を営むには非常に厳しいと思われる地域で、それは開発が進んでいなかった桃山・江戸時代ではなお一層そうのことであったろうと思われる。

そしてそこで暮らす住民たちは、迫害を受けながら日常生活を過ごすことに精一杯で、いかに教義や信仰に対して忠実であろうと考えても、それらに完全に集中できるような環境下ではない。

そのため、日々の生活や生業につなげながら信仰を考え、感じたのだろうと想像できる。

そして仮にカトリックの教義や信仰が真の命につながるのであれば、どんな形であれ、それらに対して真剣に向き合いながら生活している人は等しく救われるのであり、救いの道に決まった正解はないことが考えられる。

しかし学者として学んでいたロドリゴ師やフェレイラは、自らがまいた種が想定通りに成長しなかった故に、これを見失い、その未来を信じることが出来なかった。

そのため、この小説の結末は、視野が狭く、想像力の足りなかった宣教師たちの敗北の物語と考えられる。



み言葉は何通りにも解釈できる概念であるのだから、それが様々な地域に降り立ったら、すべて同じ考え方になるはずがなく、当然その地域や文化に合わせて形を変えて浸透していくのは想像に難くない。

事実、200年以上が経って禁教令が廃止されてから、外海にはマルコ・ド・ロ司祭等の宣教師が来日し、大きな指導者を得てからカトリック人材を多々輩出した日本有数の地になっている。

先人たちのまいた種は間違いなく成長し、禁教時代の信者が独自の考えや信仰を持ちながら育て続けたからこそ明治以降に再び芽生えたのだと思う。


ここで話を戻したい。

私は就職してから4年経つが、社会人生活はまだ始まったばかりということから順風満帆と言える状態ではなく、仕事の内容も個人的には決して普通とは言いたくないものだった。

昨年に転職し、現在はこれまでと少し毛色の違う仕事をしている現在は、以前の仕事よりも様々な面で恵まれた環境で業務をしていると感じているものの、なぜか満たされることはなく、目標も定まらない宙ぶらりんのような感覚を味わっている。

それは私にとって強い負荷であり、頭のどこかで、この感覚とこれから長年にわたって向き合わなくてはならないような予感を感じている。

桃山~江戸時代の明確な指導者が不在だった時代の外海において、迫害されながらも信仰を持っていた隠れキリシタンたちのうちの一人か二人くらいは、私と似たような思いを抱えていたのではないかと思う。

私が、私よりもはるかに苦渋をなめてきた、偉大な先人たちと同じ思いを抱いているかもしれないと考えるのは不遜と思わなくもない。


しかし、聖地での巡礼というこの特別な機会を得ている間はだれに対してかわからないがお許しいただきたいと思いながら歩くことができ、短い期間だったが非常に貴重な体験をしたと感じている。


この3日間でお世話になった長崎の皆様、修道会の皆様、そして当巡礼をお誘いいただいた神父様に心から感謝の気持ちを表し、この感想を終えたいと思う。