【長崎巡礼:感想文紹介⑪】Mさん

『信仰の地、⻑崎を歩いて』


この夏合宿、徒歩巡礼に参加できたことは、⾃分⾃⾝にとってもとても⼤きな恵みであり、⻘年たちと出会い、かかわることができたことも、とても⼤切な時間となった。


⼀⽇⽬のテーマであったド・ロ神⽗の⽣き⽅については、貧しい時代にあって、男性には仕事を提供し、⼥性には⺟親としての信仰教育に⼒をいれ、これほど多くの司祭、修道者が出ている教会の⼟台には、ド・ロ神⽗様の教育があったという話を聞くことができた。

家庭教育に⼒をいれるという教え、ド・ロ神⽗様の⽣き⽅は現代にも通じるものがあると感じ、その場に⽣きる⼈と共に⽣きることの⼤切さを学んだ。


⼆⽇⽬は⼆⼗六聖⼈の上陸の地から、⻄坂までという意義深いルートを、教会巡りながら歩くことで、会について、信仰について少し黙想した。

教会に⼊って思ったことはどの教会にも聖櫃があり、ご聖体すなわちイエスがいるということだった。

それが、建物としての教会の意義であり、また私たち⼀⼈ひとりが拝領することによって、私達がいるそれぞれの場が⺠としての教会になるということ、徒歩で歩きながら、このイエスを運ぶ、伝えるものになることができるのだということ、その重要さにあらためて気付かされた。

ロザリオを唱えながら、マリア様も⻑い道のりを歩いてエリザベトのもとに向かったことも、⽇常とは違う気持ちで黙想することができ、とても恵み豊かな⼀⽇となった。


三⽇⽬は乗船の地から、⾸塚、胴塚をめぐり妻⼦別れの岩など、殉教者のゆかりの地を巡り、寺を焼き打つなどの事件もあったと寺院跡に書かれた碑もあり、⼤村という地の当時の信徒の信仰深さ、強さというものを感じた。

徒歩で教会をまわり、⽇本⼆⼗六聖⼈をはじめとする殉教者たちを思い起こしながら歩くことで、⾃分⾃⾝の信仰の歩みを踏みしめながら、振り返ることができた。

またロザリオを各教会で唱え、皆で1⽇1環祈ったことがとても印象に残っている。三⽇間恵みのうちに守られて歩くことができたのは、⾃分の⼒ではなく、共に歩んでくださるイエスの導きによるものであり、また、それぞれの場所で温かく迎えてくださるということ、⾷事が準備されているということがわかっていることも、⼈間的に⼤きな⼒となったと思った。


⾷事や飲み物など準備してくださった⽅々に⼼から感謝するとともに、先がみえず、期待、希望がない中で前に進めずにもがきながら⽣きている多くの⼈々に真の喜びや希望をもたらす神の愛を伝える使徒として⽣きることができますように。