【長崎巡礼:感想文紹介⑧】Nさん
『長崎夏合宿を終えて』
「歩きながら祈る、祈りながら歩く」
祈ることと歩くこと、そのどちらも大好きな私にとって非常に魅力的なテーマだった。
今回特にド・ロ神父のこと、迫害を受けたキリシタンのことについて知り、考える時間を持つことができた。
ド・ロ神父は非常に才能あふれる人だった。
その才能は少なからず彼の生まれた家柄の優秀さや裕福さにも依存していたに違いないが、自分も現地に暮らしてお恵みを全部、長崎の外海の人々のために使ったというところが、ド・ロ神父のすごいところだ。
彼は土地の人たちの必要に応じて活動したが、私はド・ロ神父がそれを喜びに満ちて行ったに違いないと思う。
神様のそばで働く人を見ていると、そんな喜びの存在を感じることが多い。
また、禁教令下のキリシタンのことを黙想する中で今回意識したのは、踏み絵を踏んで生き延びてキリスト教を今に伝えた人々のことだ。
彼らが「キリスト教を残すために」その行動を選んだのかは正直わからない。でも結果的にそれが今の長崎の信仰に繋がっている。
私は自分の選択1つで将来が大きく変わるかもしれない、自分の努力で思い通りに行くに違いないと考えることがあるが、もっと安心して神様にゆだねてもいいかもしれないと思った。
長崎という土地を訪れて巡礼できたことに加え、温かい人のなかで時間を過ごすことができたことも私は嬉しかった。
初対面の参加者もいて初めはやや緊張していたが、毎日共に歩き、祈り、食事を共にしたり、一日感じたことを分かち合ったりする中でお互いをよりよく知ることができた。
特に全員が順に先唱して祈ったロザリオは、とてもよかった。
ある人はゆっくり、ある人は慣れた様子で唱えるアヴェマリアの祈りを聞きながら私は、カトリック信者かそうでないかに関わらず、同じような気持ちの仲間の中にいられる安心に満たされていた。
長崎の方々もみな優しく迎えて下さった。
食事の内容を思案してくださったこと、ある区間共に歩いてくださったこと、歴史を解説してくださったこと、体験を話して聞かせてくださったこと、どれをとっても長崎に根付いている教会の温かさを感じた。
神様に守られ、とても幸せな巡礼だった。ありがとうございました。
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