【長崎巡礼:感想文紹介④】Nさん

 巡礼を通して、長崎の地と人々の歩んだ苦難の道を少し理解できた気がした。長崎を訪れるに際して、遠藤周作の『沈黙』を読んだ。頁を繰るにつれ、主人公であるロドリゴ神父の悲痛な叫びは次第に高まる。だが神は沈黙を貫き、彼の目の前では多くの人々が苦しみ命を落としていく。迫害のみならず、貧困や原爆投下といった数々の艱難を耐え忍んだ長崎の地、人々の様を一目見たくなった。

 5日間の行程で、ド・ロ神父様や殉教者にゆかりのある教会や石碑を訪れ、現地の神父様やシスターから話を伺った。実際に長崎の地を目にすると、この地で暮らす人々がいかに貧しさに喘いでいたかが実感できた。山道を見れば栄養に乏しい赤土、海岸線を外れるとすぐに小高い丘が現れ平地は殆どない。日ごとの糧にも事欠くほどの貧しさの中で暮らしていた長崎の人々こそ、迫害の際には自らいのちを捧げるほどに厚い信仰の持ち主だったのだと知った。ド・ロ神父様が、46年もの間1度たりとも祖国に帰らず私財を投げうって人々の為に奔走したのは、このような人々を目にしたからなのだろう。また殉教者の辿った道筋を実際に辿り、もし自分だったら信仰の故にこのような苦しい道のりを歩めるだろうかと考えた。一歩一歩地を踏みしめる毎に襲い掛かってきたであろう、肉体的な疲労と心無い野次、そして死への恐怖、神への不信感。たかだか10数キロ歩いただけで感じる疲労さえも辛いのに、底知れない絶望に耐えながら歩んだ人々を、自分はとても真似できない。

 このような経験は本で読むだけ、また少し観光地を巡っただけでは味わえないものだと考える。少しでも私たちのためにと、心を尽くしてくださった長崎の皆様の心遣いに彩られた巡礼だった。中には直接お目にかかれなかった方もいらしたが、何か私たちが喜ぶものをと考えてくださっていたことが身に染みて感じられた。8月28日が私の誕生日であることを何処からともなく聞いてケーキを選んでくださったシスターに、直にお礼を申し上げられなかったことが唯一の心残りである。